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ホモソーシアルな男同士のイチャイチャ。舞台『絢爛とか爛漫とか』(〜9/13)
評価:
桜木 紫乃
新潮社
コメント:想像以上に面白い。以前紹介した吉田修一の『国宝』が中公文学賞取りましたが、これも何かとるんじゃない?と思います。あと、こんなにこの人文章上手かったっけ?って思った。

 いろいろ忙しかったり、落ち込んだりで、間が空いてすいません。(そういえば今日は四国丸亀のレインボウパレードです)

なんかいろいろと凹んでいて、そんな折、時間を見て『緋の河』を読んでいます。美輪さん、ピーターと並ぶオカマ界の伝説、あのカルーセル麻紀さんをモデルに桜木紫乃さんが新聞小説として執筆。本当に面白くて、いろいろセクマイとして、或いは普通に1人の一個の人間として勇気づけられる場面が多い。

「あたしは自信なんて小指の先ほどもないつもりだけど、この世に自分はひとりしかいないって、どこかで信じてる。」
「どういう意味?それ」
「あたしはあたしってこと。こうやって生まれついたんだもの。あたしくらいあたしを認めてあげたっていいじゃない」
言葉にすれば章子(姉)の優しさがキリキリと胸に染みてくる。
ヒデ坊にはヒデ坊にしかできないことがある。
章子の言葉には慰めではなく、実があったと証明するのは、誰でもない秀男自身なのだった。
「あたしはあたしのことが好き。自分が嫌いだったら、とっくに死んでると思うわ。」
「なよなよしてて、女のなりかけ呼ばれてるけど、言ってる奴らも本当は私のことが羨ましいの。本音のところは、あたしと仲良くしたいと思ってんのよ」
「さっきの、自信がないっての、嘘じゃないの」
「いいの、自信より自覚が大事なの」

 どうやって、自分を好きになろうかという闘い。読了してからちゃんと取り上げるかもしれません。しばしお待ちを。

kenrannokarannmanntokaTop 舞台を見てきました。

 暗い気分で暗いことを書いても、読んでくださる方が面白くない。ちょうど招待券をいただいて見て、面白かったし、9月初旬まで公演が続くのでお裾分けしたくなりました。

絢爛とか爛漫とか

■青山DDDクロスシアター

■〜9/13(金)

■出演:安西慎太郎、鈴木勝大、川原一馬、加治将樹

 

 このところ、慌ただしかったので、明治時代?の鹿鳴館みたいな話?ちょっと難し目?くらいの予備知識で、にも関わらず、声をかけて隣に座っているのが台湾人で、日本語難しすぎないかなと気に留めつつ開演。

 季節は春。

 少しこぎれいな和室に文机と蓄音機。音楽に合わせて2組の男がワルツの練習をしながら舞台になだれ込む。1組はにこやかに華麗に、1組はもたもたした足取りの挙句、いかつい諸岡が、華奢な古賀を畳の上に投げ飛ばす。

 

 投げ飛ばされて拗ねる古賀は新進の小説家で2作目が書けずに悶々としている。ほかは金持ちの役人の息子でモダンボーイの評論家志望の泉、耽美小説家 加藤、G系の諸岡は才気走った小説をサラサラ書いてしまう、古賀に言わせれば才能の塊で、未来の文豪。

 

 古賀の部屋を舞台に、その4人が、小説と女を当てに、ああでもない、こうでもないと当てなく語らう。文学論でもあり、女性論でもあり、友情論でもある。そして、女の話題を肴に気づくと4人がイチャイチャしているのだ!w

 これは妬ましいと思った。エロいとも思った。

 この舞台、初演は1993年で古賀役の安西が生まれた年だが、今年再演に至ったのは、『おっさんずラブ』ブレイクと無縁ではないと思う。きれいな男たちが、肉体関係の有無を明らかにしないままでいちゃいちゃするのが、当代の観客に受けるらしいのである。
 

 実際にこの時代の男子にホモセクシャルがあったかと言われれば、どうやらあったらしい。舞台を見ながら「ホモソーシャル」という言葉がぐるぐるしていたのだけど、帰って調べたら、以前紹介した島田雅彦『筋金入りのヘタレになれ』に、森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』から、

 帝大に来てから薩摩の人が硬派で困ると。要するに迫ってくる。もともと硬派というのは男色を嗜む者のこと。鴎外のお尻を狙ってきたような人々を「硬派」と呼んでいた。ホモセクシャルが当たり前の時代でも男としたくない人はいただろうが、当時は社会的通念で同性愛がタブーではなかった。

と言う記述があった。男子は若い時やたら男同士でつるむが、男同士の関係を磨き上げた後に後天的に異性愛に目覚める、らしいのだ。

 舞台上では、もし無人島にこの4人しかいなかったら、という話で、諸岡が泉に迫り、泉が逃げ回る場面がある。

 

enranntokarannmanntoka  妬ましいのは、この4人の濃密な「友情」だ。

 ある場面では、泉らが葉山の別荘に海水浴を兼ねてご婦人と「集団お見合い」をするとなって、腹下しで寝込む古賀を誘いに来る。

 またある場面では、古賀の脱稿を祝って4人で酒を酌み交わす。その場その場で、外部にいる「ご婦人」たちが話題に上るが、そのご婦人たちはただの「だし」だ。

 終始4人はそれぞれの才能を褒め合い、囃し合い、友情という名目の愛情を確認し合う。せりふにはないが、俺は女なんかと一緒にいるより、お前らといたほうが楽しいんだぜと、はしゃぐ。

 お互いが、お互いのパーソナリティを分担し合っているのだ。そして自我を分かち合い、自分が才能ある、魅力ある人間であると、確信し合う。あいつが俺をこう見立てるのだから、俺は確かにこういう人間なのだ、と思う。社会とはそういうシステムなのだ。個人は外部からの視座に依存して、或いは助けられて、己のキャラクターや才能を確立するのだ。

 

 人は1人で立っているわけではない。人は1人で生きて1人で死ぬわけではない。

 どういう関わりであれ、周囲の人間関係がその人間を規定する。例の「煽り運転」の犯人だって周囲の評価に煽られてあのような振る舞いをし逮捕され全人格を否定されたわけだし、N国の立花なんて、「視聴者」が気に入る自分で自分を武装している。

 

 最初に紹介した『緋の河』に戻ろう。
「あたしはあたしってこと。こうやって生まれついたんだもの。あたしくらいあたしを認めてあげたっていいじゃない」

カルーセル麻紀をモデルにした秀男は、美しい顔立ちで、美しいものが好きで、男が好きで、しばしば、それを親や同級生に否定されつつも、徐々に自分を信じてくれる人、守ってくれる人、好きな人、好いてくれる人を作って強くなっていく。

 昭和の同性愛者は江戸期に比べて全く黙認されてはいなかった。強くならないと自分のままでは生きていけなかった。

 

 話がとっ散らかってきたので、この辺でまとめよう。

4人の美形俳優が演じるこの舞台はほぼ『おっさんずラブ』である。かの映画も男が男を好きになったり、キスしたり、幼稚園児のお友達奪い合いくらいな天真爛漫さで描かれていたではないか!女なんてのは刺身のつまでしかない。

 それはうらやましく、妬ましいものだが、同時に狡いと私に叫ばせる。

 自分が同性愛者に生まれついたから、選べなかったホモソーシャルな関係を、生々しさを一切排して世間が

「春たん、かわいいーーーー!」とかいう風潮を。

狡いよ、そういうの。(゜_゜)思わずそう独り言ちてしまう。

 

 現実はカルーセル麻紀が、美輪明宏が通ってきたイバラの道だ。

だから、なおさら、自分が自分の好きな自分でいるために、誰かと会う努力と、自分を好きでいる努力を諦めてはいけないのだろうなと、思った。

 

 舞台『絢爛とか爛漫とか』一瞬、夢見るにはとてもいい作品でした。

当日券あると思いますので、お時間とお財布に余裕がある方は是非どうぞ。

 

絢爛とか爛漫とか公式サイト

安西慎太郎、鈴木勝大、川原一馬、加治将樹が4人の文士を熱演!舞台『絢爛とか爛漫とか』ゲネプロレポート

個人的には 鈴木勝大くんがタイプ!

妄想恋愛 /島田雅彦(マチダタイムス)

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