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千葉雅也『デッドライン』/フランス現代思想によるセクマイ腑分け小説
評価:
千葉 雅也
¥ 1,595
コメント:薄い小説ですが、さらっと読んで楽しい小説ではないです。アイデンティティをうっすら揺らがされる。

 放置気味ですいません。

 恒例で「2019年の3冊」とかやりたいなあとも思っているのだけれど、年末に大量のマンガを借りてきてしまって(それこそ、ちはやふる、だの、キングダムだの)トイレ本(ウンコしながら読む本)がそれに占有されると、改めて自分の遅読ぶりに気づかされる日々。要はよほど魅力的な本じゃない限り、わざわざ座ってちゃんと活字本なんか読まないってことだ。(;゚Д゚)

 紙媒体ってアマプラやネトフリに負けるわけね。

 

 昨日芥川賞・直木賞の発表があって、オープンリーゲイの哲学者 千葉雅也さんの小説処女作で、野間文芸新人賞をさらった『デッドライン』が惜しくも受賞を逃した。

 この本は年末になんとか読了。鮮度が落ちないうちに(?)紹介したい。

 これが、どこまでほんとで、どこから虚構?と思わせる2000年代初頭のゲイシーンを鮮やかに切り取って全編なかなかに生々しい。

 「米」ってどうなるの?とそいつに聞くと、ずーっとラッシュが効きっぱなしな感じで、ケツ掘られるとションベン漏らしちゃうよ、という。随分気楽に言うが、そもそもあれは、数ミリグラムの差でオーバードーズに陥りかねない幻覚剤のはずだった。それを弱く使うことで媚薬にしている。
 吸収を良くするために、まず空腹状態でグレープフルーツジュースを飲む。それから耳かき一杯の量を経口摂取し、1時間後に「通過儀礼」が始まる。悪寒やめまいが来るが、何も考えないようにして我慢するしかない。そこを通過してやっと性的な感覚が異常に高まってくる。効きすぎてヤバい状態に入ったら、デパスなどのベンゾ系抗不安剤で「落とせる」と言われている。
 掲示板には「腰から下がドロドロに」なり途中で自分から相手のゴムを外して朝まで何発も種付けされた、といった話が、まことしやかに書き込まれていた。
 恐ろしかったのは、もう生でやっちゃえ、と一線を越えることだ。あってならないが、そうなったらサイコーだ。(P31)

 ゴメ(?gome ?5me)はねえ、使ってる人とやったことあるけど、私自身はやったことないです。そういえば沢尻エリカ所持の違法薬物はこれだったっけ?この小説のこういうリアリティに同時代を新宿の暗がりで過ごしたことのあるゲイはいやおうなく引き込まれるだろう。

 

 主人公は現代フランス思想を研究する大学院生。修論の締め切りが迫っている。

 彼はカミングアウトはしているものの、ノンケの友人や大学の仲間との間になんとない「断絶」や「違和感」を、そして(同性同士の友人のホモソーシャルな関係に)「憧憬」を強く感じている。

  安藤君ともう一人、大概遅刻して来るリョウは僕を苗字だけで呼んでくれる。苗字で呼び捨てにされると、恥ずかしさが一瞬湧き上がる。でも、それに新鮮な喜びがあった。なぜなら僕はずっと互いを呼び捨てにするような男同士の関係性の外に置かれてきたから。篠原さんは「くん」付けで、その方が安心するけれど。(P10 )

 一方で、ハッテンバの暗闇で男を渉猟し、街で見かけるノンケに対して「こんなにイケメンならイケメン同士で付き合えるだろうに。ゲイは数が少ないという実感がなかった。街で見かける男のほとんどがノンケだなんて、嘘みたいに」感じている。

 

 主人公は、ゲイとして、ストレートとして、揺らぎながらいる現実の存在としての自分が、重なりあったり、離れたり、研究内容であるドゥルーズやガタリといった「フランス現代思想」によって、腑分け?されているように感じた。

 どう生きるか。という素朴な問いがのしかかる。それまでの僕に生き方の悩みがなかったわけではない。大学に入って一人暮らしを始め、実際に同性愛を生きるようになって、不安を感じる時に現代思想は助けになってくれた。世の中の「道徳」と は結局はマジョリティの価値観であり、マジョリティの支配を維持するための装置である。マイノリティは道徳に抵抗する存在だ。抵抗して良いのだ、いや、すべきなのだ。そういう励ましが、フランス現代思想のそこかしこから聞こえてきたのだった。(p107)

 友人の映画製作の手伝いで、BGMを友人のKとプログラミングする主人公

 食事のあと、Kを連れて久我山に戻り、Kに手伝ってもらってサンプリングの作業を始めた。コンデンサーマイクを使い、2オクターブを一音一音、減衰していく音を長く録音する。僕が弾き、録音の開始と停止はKに操作してもらう。そうして採取された音のデータをソフト上で音階の順番に並べキーボードで弾けるようにする。ギターの身体をいったんバラバラにして、それをマリオネットみたいに紐でつないでで操作するという感じ。
 それは、僕自身の僕への関わり方みたいだ。僕は僕自身を、単純にそのままの全体で生きることができない。バラしてから操っている。身体も、言葉もそうだ。ボブ・ジェームスの音楽のわざとらしさもきっとそういうことなのだ。(p103)

 この小説はところどころ難解で、ところどころ「肉体的」だと思う。セクマイを生きるということはやはり哲学なのだろう。というか哲学的にならざるを得なくなる。

 私は何者なのか。何のためにここにいるのか。いや、私は何物でもなく、私が今、この形でここにいるのはすべて偶然…!?

 

 東京新聞のインタビューで、千葉雅也はこうも答えている。 

 昨今盛んとなったLGBT(性的少数者)をめぐる議論にも、当事者として同種の違和感を抱いている。

「少数派の人権のためと言いながら、彼らの持つ複雑さを直視していない。例えば『男が好きな人も、女が好きな人も、みんな愛だからいいじゃない』みたいな単純化をしては、全く欲望というものの繊細さを見落とすことになる」

 紅白の氷川きよしの「キャラ変」問題について、「氷川きよし、カミングアウトとか、そういうことをさらっとスルーして、みんななんとなくふわっと「人類皆兄弟」「愛し合おう!」「いいね」で埋め尽くすのって変じゃない?」みたいなTWを読んだ気がするのですけど、世界は私たちにわかりやすさを求める。私たちも世界にわかりやすさを求める。それがあの、キーちゃん騒動の生ぬるい帰結だったのかもしれない。(氷川君を批判してるというより、その世間の受容の仕方はなるほど気持ち悪かった)

 

最後にもう一度書いておこうか。

セクマイを生きるということはやはり哲学なのだ。

 

追記)頭の中において少し熟成させてから書くべき本です。私がきちんと咀嚼できていないから、まとまりの悪い文章ですいません。

 とりあえず、これを「2019年、町田お勧めの3冊」の1つにさせていただきます。

あと、2冊はもう少し考えます。

chibamasayadeadline

 

 

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