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インターセックス〜肉体は快楽の奴隷か〜
 半陰陽の話だけに半引用で…と言ったのが洒落にならないくらい、いろいろ迷いがあるので、引用しながら内容を紹介します。盛り込みすぎなんだもん。
性意識が暖昧なままだと、何故いけないのでしようか
 この本はサスペンスでありながらジェンダーを扱う教科書です。
 主人公の美貌の医師 秋野翔子が、産婦人科を核に総合的な生殖医療を展開するサンビーチ病院にヘッドハンティングされることから物語は始まります。そして彼女を招聘した院長 岸川とのやり取りの随所にジェンダーと生殖を巡る医療の現状への問題提起が行われます。
 前の記事にも引用しましたが、インターセックスとは性器的に「男女」が確立していない症例のことをいうのですが、翔子は曖昧な性器で生まれてきた子どもを本人の意思を聞くことなく、男性か女性に近づけることは「医療過誤」だと切り捨てます。
「出生証明書に、男か女か書かなくてはいけないでしょう。それはどうしますか」
「不明と書けばいいです…戸籍に性別を書く欄はありません。」
 自分がゲイだからでしょう。性別というものはなんなのかと思うことはしばしばです。ジェンダーはなんですかと問われると「ゲイ」ですとこたえる。でも、実際のところ、それすら、何%が男で何%が女なのか、何が自分をゲイと思わしめるのかわからないままです。
 少なくとも外性器的に「男」で生まれ、社会的にも「男」とされている。そのことは私にとってよいことなのでしょうか?「男」だとされている。でも、実際、私は「男」じゃないかもしれないのです。少なくとも、生殖について明らかに欠格がある。

 私はネットで商売してる割りにネット嫌いですが、それでもネット社会でよかったと思うことはしばしばあります。そうでなければ自分のセクシャリティの稀少さ、孤独さに今以上にさいなまれたことは間違いないでしょうから。
 「男」です、「ゲイ」です、なんてのは分類上のものです。では、自分が認めた「ゲイ」を社会や他人や親が認めてくれるかはまた別の問題なのです。
 この本はそれを考える一助になります。
これまで世間は、というより人類の歴史は聖書にも書かれているように人間をmaleとfemaleに二分してきたのですが、わたしはこれを事実に応じて五つに分類したらどうかと唱えています。つまりインターセックスを三つに分けるのです。hem というのは、性染色体はXY でありながら、性器の外見は女性である人たちです。逆に性染色体はXX であっても女性性器が欠如して男性化している場合はmemです。そして、男性器と女性器の両方をもっている人たちをhermとするのです。maleとfemale とhem,memそしてherm。
 考えたこともなかった。
 当事者にならない限り、マジョリティでいる限り、思いつかないことがあるものだと思いました。思えば「ゲイ」や「レズビアン」という概念が定着し、それが社会的に「疾患」ではないとされたのもこの30年の話です。
 LGBTにI(インターセックス)を足そうという話があるそうです。実際にはIは多様すぎて結局足されないままなのですけど、いくら少数でも当事者にとっては無視できない話です。命名で許容度がますなら命名すればよいのにと思います。
 でも、私は「I」じゃないから、ふだんそんなに「I」のことに寛容ではないのです。
なるほど、世間も私たち「G」に寛容でないはずです。
「実際はそれから先が大変でした。痛いのに、手術したところに棒を入れて寝なくてはいけないのです」
「ディレイターですね」
それは生理時にはめるタンポンのようなものだ。口径の小さい物からはじめて、数ヵ月毎に少しずつ大きなディレイターに換える。膣が萎縮するのを予防するのだ。
 ゲイゆえに女体に何の関心もありません。だから、性転換する人が負う負荷にも関心がない。著者が現役の医者だけあって、この本では詳細に性転換の術式や、生殖について頻繁に詳細な記述があります。身体には傷口を修復する機能があり、ピアスの穴も放っておくとふさがってしまうことは自明です。なら、男性→女性に性転換した場合の造形された膣がふさがろうとしないわけはないのです。テレビで見るはるな愛や椿姫彩菜からは想像できませんが、造膣した女性は多分そのようなことに煩わされて生きなければならないのです。
 もともとそれがない身体に「膣」という穴を空けるということは「社会の様式」に身体を合わせるということではないでしょうか。「I」の人たちのそれは性交をするのには若干不全だったとして、人と人が交わるのにそこまで「膣」が必要なのでしょうか。もちろん、例えばゲイセックスでアナルセックスが出来ないと交わった感じがしないという人もいるでしょう。でも、本当に「膣」が、「アナル」がなければ、好きな人と交わることが出来ないのでしょうか。私たちは「交わる」ことに重くを置きすぎてるのではないでしょうか。肉体的な「交わり」が人間の「交わり」の大部分だと錯覚してるのではないでしょうか。あわせて考えさせられました。
 まして、「I」の子どもの幼児期に、オトナの価値観で性器をめぐる手術を施すことの残酷さも。それは本人の意思がないまま行われる割礼や、クリトリスの切除にも似ているのです。
「…医学というのは、こちらが気がつかないままワナにはまってしまう危険性がある」
「ワナ?」翔子は訊き返す。
知らず知らず、人間をマイノリティとマジョリティに分別するというワナ。病気自体はいわばマイノリティでしよう。治療は、病気というマイノリティを、健常であるというマジョリティに近づける行為に他ならない。…」
 これを他人の罪だと言い切れる人がいるでしょうか。
私はそんなに優しいわけではないのですよ。だから、少なくとも「健常男子」というマジョリティの目線で、自分の分類を「偽装」するのです。「I」じゃなくてよかった、という傲慢、すいません。でも、「G」の私は、潜在的に「I」の人たちと似た位置にいるのです。親から見ればその「欠損」が可視的か、不可視的なだけ。
「社会の変化とともに、医療そのものも自らの基盤を絶えず点検しなければならない時代です。これはわたし自身も含めての反省ですけど。わたしたちが自覚のないまま踏襲しているのが、パターナリズムとノーマライゼイションです。黙ってついて来いというのがパターナリズムだとすれば、病気や障害を限りなく正常に近づけようとするのが、ノーマライゼイションの思想です。男と女の中間があってもいいはずなのに、どちらかに近づけようとするのも、一種の誤ったノーマライゼイションでしょうね。
 散漫なプレビューになってすいません。
自分のことを「病気」だとは言いたくありません。でも、「健常」だと言い切るには、いろんな助けが要るのです。Gでさえそうなのです。Iで生まれた人にはそれ以上の勇気がいると思うのです。
 セックスというのは機能的にはその個人が生きるのになくても不自由のないものです。だから、たとえ、自分からごっそり性器が抜け落ちていても恋をするには困らないかもしれないじゃないですか。(不遜な例を出すと五体不満足の乙武君でも結婚してます。下世話な私たちは、妻が車椅子に腰掛けるようにHするのねとか思うわけだな(゜-゜))
 あたしはあんたが思うよりも十分「健常」よ。
 そう思って繋げていける力は今のあなたたち、私たちが少しずつ積み上げていかなければならないものなのです。私たちが諦めることは後生のためにもならない。そんなことを思いました。

 基本エンターテインメント小説ですから、出典と論拠について若干の危ぶみがあります。(概ね医療の現状を基本にしてるものと思われますが、参考文献の記載がなかったので裏づけとれず)
 でも、この本を読んで、この作家は「良心」の作家なのだなと思いました。小説というエンターテインメントは才能でかかれたものと必要でかかれたものがあります。(注)作品全般について言えば、明らかに才能で書かれたものです。真似しろといって書けるものじゃない。でも、帚木蓬生さんにこれを書かせたのは、彼自身訴えかけたいものがあったからだと思うのですよ。結末までのサスペンスは若干うるさい印象も持ちます。でも、それに至るまでの前半3分の2.特にインターセックスで生まれた人たちのミーティングでの独白だけでもこの本を読む値打ちがあります。
 LGBTの人もそうでない人もぜひ読んで欲しい。そう思います。

追記)こうやって書くとインターセックスがかなり稀な例のような印象を与えますが、100人に1人程度にインターセックスが現れるそうです。(同性愛は確か7%とされてます)先日NHKの女と男でY染色体には修復機能がないのでどんどん劣化していくという話をしていて、結構衝撃でしたが、それとも関係があるのかもしれません。社会の「スタンダードタイプ」の男がどんどん少なくなってくれば、また社会も変わるのでしょうか?
 でも、たぶん、その場合、不要な「ノーマライゼーション」が働くのではないかと思います。

しっぽのないきつねの話
男と女 二分法へ強い疑義(中日新聞書評)

注)よい小説には「才能でかかれたもの」と「必要でかかれたもの」があると思います。
浅田次郎や宮部みゆきあたりの人気小説は才能で書かれた完成された職人技エンターテインメントですが、才能もさることながら、天童荒太の『永遠の仔』、松浦英理子の『犬身』、藤野 千夜の『夏の約束』などは、主題ありきでかかれたものかと思います。いずれも名作なので是非ご一読を。(中でも松浦さんは取り上げたいのに機会を失ってます。いつか何か書きます)

インターセックス資料室
インターセックス

エンブリオ (上) (集英社文庫)
エンブリオ (上) (集英社文庫)
帚木 蓬生
インターセックスの前編で、インターセックスに盛り込まれるサスペンスはこちらで既におこったことのようです。インターセックスが続編なのですが、インターセックスから読み始めてもよい印象を持ちました。
NHKスペシャル 女と男 DVD-BOX
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犬身
犬身
松浦 理英子
永遠の仔〈1〉再会 (幻冬舎文庫)
永遠の仔〈1〉再会 (幻冬舎文庫)
天童 荒太
夏の約束
夏の約束
藤野 千夜
はるな愛自伝(仮)
はるな愛自伝
ニューハーフという人生選択の重みを改めて感じました。はるな愛は自分で選び取って、手術を受けた人なのだけど、相当な目にあったそうです。タイの高校でトイレに男性、女性、中性と3つあるところがあるのだけど、そこまで社会が進めば楽な人もたくさんいるのかもしれません。
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帚木蓬生 『インターセックス』 帚木蓬生のヒューマニズム復活
インターセックス。古くは半陰陽、両性具有と称されたが、外性器の形成や生殖器、染色体が曖昧で男女の一方に分類できない人々。広義にみると100人に一人の出生頻度で出現する。久しぶりに帚木蓬生が医学界の現状に真摯に向き合った好著を手にした。 なにしろ冒頭の
| 日記風雑読書きなぐり | 2009/02/07 7:54 PM |