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はるな檸檬『ダルちゃん』~そのままでいていんじゃない?~
評価:
はるな 檸檬
(2018-12-06)
コメント:ジェンダー問題とか社会問題とかいろいろ考えさせられる佳作。

daruchan 鬱です。

 最近、最も長く親しくしてると言っていいゲイの友人に連絡が取れなくなって大変不安に思っています。喧嘩したとかじゃないのよ。1,2か月おきに連絡して数か月おきに会って映画見たりするような間柄なのですけど、ある日ラインに既読が付かなくなった。その時は単に忙しいのだと思ってたけど、1か月後に連絡した時にまだ既読になってないことに気づいた。

 次にメールしてみた。返信なし。電話してみた。電源が切られている…。

 何があったのかひたすら不安です。最初は携帯紛失かと思ってたのだけど、携帯紛失でラインはともかく、メアドや番号まで音信不通になることは現代人ではあまりないです。こうなって初めて連絡を取る方法がないことに気づきました。彼氏と一緒に住んでる人なので仕方ないのだけど自宅の場所も知らない。大体の勤め先と大体の名前は知ってますが、そこに誰誰さんいますかと電話するのもためらわれる。そもそも私が彼に多分本名教えてないから、彼が私に本名教えてるかどうかも確信がない。(゜.゜)

 単に切られたんじゃないの?と思われる人もいるでしょうが、セフレじゃないからね、そうなると家族みたいなものなのです。遠い親戚よりよほど近い。殺されて埋められてないか、とか、病院で意識不明になってないか、とかそういうことばかり考えてしまう。(+o+)

 

 モバイルで家族や家というコミュニティを経由せずに個人でつながれるようになりましたが、そうなると本人に何か起こると連絡が突然ぶち切れます。SNSで生活状況を公開してる人もいるかもしれませんが、LGBTゆえにそういうことをしない人もいるでしょう。意外に私たちが頼みにしていたものは細い糸のようなものだったのかと改めて思い知らされた気持ちです。
daruchan2

 資生堂が自社サイトに掲載しているはるな檸檬さんの『ダルちゃん』という漫画があります。夏に完結して、単行本化決定でWEBで全話読めるのは10月いっぱいなので、ぜひとも読んでほしくて書いています。

http://hanatsubaki.shiseidogroup.jp/comic2/

はるなさんは東村アキ子の一番弟子で宝塚女子漫画とか出してる方。軽いのかと思ったら、全然作風が違った。『イグアナの娘』、『コンビニ人間』の進化版といった感じ。

 ダルちゃんこと丸山成美はダルダル星人です。

といっても、宇宙から来たわけではなく、そのままだと普通の人のふるまいができない。だから、必死で周りの人の行動やリアクションを勉強して、周囲に擬態しています。ダルダル星人だとばれる事は耐え難いこと。だから、相手に合わせて相手をうかがって自分を出さないのが当たり前になっていました。そんなダルちゃんが恋愛をして、自分の好きなことを見つけて、でもやっぱり相手に合わせそうになって、迷って迷って、最後に自分は自分のままでいいんじゃない?と気づくストーリーになっています。

 なんか、身につまされた。

 いくつか前の記事で、ジャック何某氏がゲイが差別されないためにカミングアウトするな!と論じたのを見たときの怒りがふつふつとまたぶり返してきた。

 多くのLGBTは擬態してます。言う必要がないから、という人もいるかもしれないけど、何か聞かれたときのために妄想の彼女や別れた恋人の逸話をあらかじめ準備しているゲイも多い。最近は一目でこの人、組合員!というのがわかる人、周囲に明らかにしてる人も増えましたが、公務員や固めの職業、前時代的なパワハラやセクハラが横行してる職場でカムアして仕事をしている人はほぼいないものと思います。

 

 私が2丁目で知り合った人に伝える名前は本名ではありません。でも、便宜上1つにしてるので仮想人格化してますし、そのアイデンティティティでの共通の友人も多いです。

 話題の映画『SEARCH/サーチ』では行方不明になった娘を探す父親が、SNSの手掛かりに残された自分の知らない娘の姿に愕然とする物語だそうですが、LGBTは社会の制約下で不利益を被らないために二重生活を送っていることが少なくありません。そしてそれはとても疲れることだし、その結果として親しい友達が音信不通になったときや、行方不明になったとき、探す術を持たないのです。

 どうか無事でいてくれますようにとただ祈るしかない。

 

 そういえば映画『シングルマン』でも『ナチュラル・ウーマン』でも、ゲイカップルは一方の死とともにパートナーを亡骸ごと奪われます。地位のある人なら今でもそのパートナーが葬儀の家族席に座ることさえ難しい。それは、性的志向が公になることが不利益になる社会だから、私たちのパーソナリティや人間関係が分断されるのです。でも、いまやゲイなんてほんと、犬も歩けばオカマにあたるくらい東京ではそこら中にいます。なのに緊急事態に対応できない脆い関係しか作れないようなベースしかない。そしてその価値観がコピーされて次世代に受け継がれているのです。

 

 何もかも明らかにする必要はないけれど、隠さなくてもかまわない社会がくればいいなと思います。

 そしたら、ゲイ友にも本人が急逝した時、葬式の案内が来るかもしれない。自分が逝くときも、本当に送ってほしい人には伝わらなくて、どうでもいい遠縁の親戚に囲まれて死ぬってのもいやじゃないですか。

 いろんな人がいていい。実際いろんな人がいるんだから。

 それを許容する世界になることを祈っています。

 

前時代のジジイはとっとと失せろ!セクマイによるセクマイヘイトが週刊新潮に掲載された件(マチダタイムス)

be visible!さあ、車の屋根の上で足踏みするのだ!『ナチュラル・ウーマン』ダニエラ・ヴェガ(マチダタイムス)

映画 シングルマン〜絶望の果ての天使たち〜(マチダタイムス)

 

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